しばらく考えたい議題

こんにちはだしょです。

今日は、シャワーを浴びていてふと閃いたことがなかなか深くて面白い議題だったのでそれについて書いていこうと思います。

さて、本題にはいりますと私が閃いた議題は「合理の反対って感情だと思うんだけど、自分にとってその境目はどこだろうか、例外はなんだろうか考えてみよう。」って議題です。これについては結構前からなんとなくでは考えていたことなのですが、曖昧なままだったのでしっかりと言葉にしておこうと思った次第です。私は合理的なことが好きな傾向がありますが、不合理であっても譲れないもの選んでしまうことが山ほどあります。よく選んでしまう不合理な選択として目の前の「楽」を選んでしまうのですよね。勉強するか、動画見ながらうとうとして寝るかの選択は元気があるあるときは勉強の勝率が9割以上あるのですが、外出した後とかなんかの作業後で満足感を感じているときの勝率は4割ぐらいの勝率になり「楽」を選んでしまいます。ちなみにその不合理の選択をしていると知りながら楽な方を選んでいるときが自分は人間だなと思うタイムとなっています(あ〜痛い痛い)。ここまでをまとめますと合理的なことが好きな人でも不合理な選択をするよってことです。

話は少し変わりますが、合理の反対って道徳や感情とも言えるのではないかとさっきの議題を思いついた時に考えたわけですが、どうでしょうか?自分では合理の反対は感情ってそこそこ言えると思うんですよね。例えば、レポートや課題をギリギリまで手をつけないって不合理だと思うんですけど、そこには楽って感情を選び続けた結果だと思うんですよね。もちろん、火事場の馬鹿力とか尻に火が付いた方が効率よく作業ができると言う意見はあるとは思いますがあくまでも例なのでお許しください。話を戻しますと不合理の選択にはよく感情が関連しており、ほぼ不合理≒感情だと思いました。また、道徳も不合理とセミイコールの関係にあると思うんですよね。具体例をあげると、渡し箸ってお皿の上に箸を置くって言う無作法があるのですが、もし箸置きがなければこのご時世渡し箸をせざるおえないと思うんですよね。だって箸をテーブルの上に直置きしてしまうと自分とその後テーブルを使う人にとっては不衛生ですからね。なので、箸置きがないときでも礼儀を重じてテーブルに箸をそのまま置くって不合理だと思うんですよね。もちろんこの渡し箸についてもあくまでも例で、礼儀が悪なんって一言も言っていません。むしろ、礼儀がしっかりしている人はかっこいいと思うし、真似したいこともたくさんあります。ここで話したいことは、自分の合理と不合理の境界線がどこかにあるか?ってことなのであしからず。

この議題を深めればゆくゆくは自分用の六法全書ができて判断に揺らぎがなくなると思うんですよね。言い換えるなら一貫性のある人になると思うんですよね。まぁ私も人間なので、過去にメモした判断基準が変化することもあると思うんですけど、それはそれで自分にどんなことに影響されて考えが変わったかとか考えることもできるのでOKとします。あと自分用の六法全書があると仲のいい友達と話すとき無限に話せるぐらい楽しい会話ができると思っています。本当、仲のいい友達とお互いの価値観を話し合うのはいろいろな発見、いろいろな視点があることをしれるし今後のその人とのしょーもない話も楽しくなるので大好きです。あと、あと、私は精神状態が安定している人がカッコいいなと思う習性があるので自分もそうなりたいなと思い、自分の法律作りをどんどんしていこうと思っております。

 

要約

今後の自分の中の議題は「合理の反対って感情だと思うんだけど、自分にとってその境目はどこだろうか、例外はなんだろうか考えてみよう。」

自分は合理が好きだが、自覚があっても不合理を選ぶ時がある。

不合理≒感情って言えると思わない?

不合理≒礼儀とも言えないかな?

この議題を考えれば自分用の六法全書が作れてハッピーじゃね?

です。

 

 

文を書いていて思ったこと

自分なりの判断基準を明確に持っていたり考えている人ともっと話す機会が欲しいかも〜☆

 

 

終わり。